成立までの歴史的経過

戦後の華僑、留学生組織

 1945年から46年にかけて日本各地の華僑代表が東京に集まって、全日本的組織について協議を重ねた。そして46年4月18日から四日間、熱海で42僑会と留学生代表ら三百余名が参加して、 全日本の統一組織として留日華僑総会が成立した。大会の決定に基づき、各都道府県の華僑組織は一つに統一し、留日華僑総会の下部団体となった。

中華人民共和国成立と華僑の変化

 1949年10月1日の中華人民共和国成立は、華僑、留学生に中華民族としての誇りと祖国発展に明るい希望、祖国を熱愛する勇気を奮い立たせた。さらに台湾解放が目前に迫っている期待と自信をあたえた。

蒋一味との長い激しい闘い

 しかし、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発し、米国は中国の台湾解放を阻止するために、台湾海峡に第七艦隊を派遣し、台湾を防衛すると宣言した。
 このような情勢を反映し、米、日、蒋は結託して、新中国を支持する華僑を敵視し、あらゆる手段を使って、華僑、留学生弾圧の挙に出た。その一環として、 「代表団」(当時の中華民国駐日代表団)が華僑弾圧の暴挙に出たので、東京華僑総会は同学総会と各地同学会と連帯し、祖国を擁護し、反蒋愛国統一戦線の拡大、強化に全力を注いだ。

留日華僑代表会議の発展

共通の重要問題を協議

 1969年6月7日、8日に横浜で15僑会が参加して開かれた留日華僑慶祝国慶20周年準備委員会の常務委員会において、東京および各地代表からさらに愛国団結を強め、中日友好促進のため、 全日本規模の協議機関の必要性が提起された。
 69年8月4日、東京華僑総会の呼びかけにより、東京・新橋の蔵前工業会館で札幌から鹿児島に至る15僑会と旅日華僑青年聯誼会の代表五十余名が出席して協議した結果、 ①協議機関として各僑会の緊密な連携を図り②全華僑共通の重要問題を協議する③年1回定期会議を開く④事務局を常設するなどの内容の章程を採択して、留日華僑代表会議が発足した。
 当面の活動として、出入国管理法案反対闘争と国慶20周年活動、慶祝団派遣を勝ち取る闘いを展開して、大きな成果をあげた。それから三十年絶え間ない激しい闘いが続いた。毎年一回ないし二回の定期大会が開かれ、 その当時の情勢に対応して、闘争を含む各種の活動を行った。
 代表会議に参加した各地中心僑会(一部連絡処もあり)は次の地区である。
 北海道札幌、旭川、函館、青森、岩手、宮城、秋田、山形、茨城、群馬、埼玉、千葉、東京、横浜、山梨、長野、新潟、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、神戸、奈良、和歌山、鳥取、島根、岡山、広島、山口、 四国、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄。
 このほか、横浜山手中華学校と神戸中華同文学校も相前後してこの会議に参加した。
 これらのすべての活動と運動は、主として東京華僑総会が中心となり、横浜、京都、大阪、神戸の四地区僑会を加えた常設事務局により推進されてきた。三十年間にわたる主なる活動は以下の通りである。

三十年間の活動と成果

 1.常に内外情勢を分析し、各種学習会を組織し、夏には合宿して、各華僑機関・団体の活動家の合同学習会を開いた。
 2.社会主義祖国を擁護し、反中国・華僑迫害と断固として闘った。こうした闘いのなかで、華僑の愛国団結を強め、華僑の正当な権益を守り、各友好団体、友好人士と連携して、中日友好を促進し、勝利を勝ち取った。
 3.1966年の中共、日共の共同声明が不調に終わったことによって、引き起こされた友好団体内部の問題、日中友好を守る人たちと反中国分子の闘いは熾烈を極め、各方面の友好事業に大きな困難をもたらした。 華僑ももちろん、その渦中に巻き込まれ、苦しい闘いを強いられた。
 4.日中友好運動での対立は、ついに67年春、善隣学生会館での愛国華僑および日中友好を促進する人たちと反中国分子の激しい闘いとなりその結果、反中国分子が会館から退去した。
 5.69年、71年、72年と三度も国会での強行採決を意図した、日本政府の「出入国管理法案」、「外国人学校法案」の二法案に対し、華僑、朝鮮人が広範な日本の諸団体、人民の支持の下、 反対闘争を堅持して国会で廃案に追い込み、この民族教育と生活権を奪おうとする日本政府との熾烈な闘いで勝利を収めた。
 6.祖国への国慶節慶祝代表団派遣は長い粘り強い運動によって、71年、甘文芳団長以下12名の代表団をはじめて、祖国の慶祝行事に参加させることに成功し、これ以降慶祝団派遣に道を拓いた。

国交正常化後の新事情

 1972年の中日国交正常化は、華僑にとって大きな喜びであった。73年2月23日から24日まで、東京で開催された第八回留日華僑代表会議は33僑団、3地区代表、156名が出席した(これまでの最大規模)。 新しい情勢と愛国団結の拡大、強化、中日友好事業の促進など当面の諸問題について討議した。

留日華僑聯合総会の設立

新たな貢献めざし代表会議を改組

 中日国交正常化以降、また、祖国の改革開放政策によって華僑社会でも大きな変化が起こった。一世の老華僑が減少し、日籍華人が増加したが、全体として5万人足らずであるのに対し、改革開放政策後、 すなわち、80年代以後大陸からの来日者が急激に増加し、各方面で活躍するようになった。88年12月末の外国人登録者数(入管発表)は、中国人27万2230人になり、20余万人の新華僑が在日しており、また、 すでに帰化した華人も少なくない。これらの新華僑は個別的な組織はあるが、当時統一組織はまだ成立していなかった。
 このような各方面の変化と発展に伴い、老華僑の全国協商組織としての留日華僑代表会議は新しい情勢に対応できなくなったので、強力な全日本的な統一組織が必要であるとの意見が各地から出されていた。
 こうした情勢の下1999年5月27日、神戸の「中華会館」で開催された第32回留日華僑代表会議は新たな貢献をするために、留日華僑代表会議を改組し、統一組織として留日華僑聯合総会の設立を決議した。

初代会長に陳焜旺を選出

 留日華僑聯合総会の設立大会では、章程を決定して、役員の選挙を行った。その結果、陳焜旺氏が満場一致で初代会長に選出された。陳会長の提案で副会長の選挙を行い、東京華僑総会殷秋雄会長、横浜華僑総会呂行雄会長、 神戸華僑総会林同春会長、大阪華僑総会金翬会長が副会長に選出された。また、章程の規定にもとづき、東京、横浜、京都、大阪、神戸の各華僑総会よりそれぞれ2名の常務委員を、 さらに各地華僑総会などの各加盟団体より2~5名の代表委員を選出した。そして聯合総会の最高決議機関は代表委員大会とすることが決定された。成立後の聯合総会は、下記事業を重点的に行うことになった。
 (1)祖国基礎教育支援(希望工程)活動について、5年計画で国内の辺鄙地区に毎年、一校の学校の建設を援助する。
 (2)華僑子弟の華文教育を普及するために、横浜、神戸の中華学校の教師の北京華文学院への研修を奨励援助する。
 (3)華僑子弟の北京華文学院および曁南大学、華僑大学への留学を奨励し、奨学金を支給する。
 (4)毎年夏季期間、華僑子弟の祖国参観団を組織し、補助金を出し奨励する。
 (5)毎年夏季期間に日本国内で華僑青年交流会を組織し、祖国の事情を学び青年相互の交流を促進する。
 (6)新老華僑華人の交流を推進し、強化するために努力する。
 (7)各地華僑総会相互間の交流と団結の拡大および強化をはかる。

「中国平和統一促進」東京大会

 近年、中国平和統一運動は世界規模で盛り上がり、日増しに勢いを強めている。すでに世界各地の華僑華人が結成した「平和統一促進会」は90以上にのぼっている
 こうした大きな潮流のなかで、「全世界華僑華人中国平和統一促進大会―新世紀東京大会」が2001年7月16日から二日間、東京新宿の京王プラザホテルで盛大に開催された。 これには世界35の国と地域から六百名近くの華僑華人代表が参加した。
 大会では、①中国の平和統一が海峡両岸および世界の政治、経済、文化にもつ意義②一つの中国の原則の下、いかに平和統一促進を早めるか③中国の平和統一を妨げるものは何か④海外華僑華人が台湾独立反対、 中国統一促進のために果たす役割など四つのテーマについて、活発な意見表明と熱心な討論が行われた。
 留日華僑聯合総会は各地華僑総会に支持と参加を呼びかけ、全組織を挙げて同大会の成功のために尽力した。大会には日本各地から台湾同胞を含めて各華僑総会の代表多数が出席した。

華僑史に新しい潮流

著しい新華僑、華人の増加

 留日華僑の組織は、戦後一貫して中国籍中国人の全日本的組織と各都道府県の華僑総会に集中していたが、時代の変化とともに、日本籍に帰化した華人が増え続けている事情を考慮し、 華僑総会を支える各同郷会、婦女会、青年会、校友会などは、華人も会員として入会できるようになり、日常的な活動、付き合いでも、華僑華人の区別はなくなった。しかし近年、華人の増加と国内外情勢の状況変化に伴い、 国籍の如何にかかわらず、中国血統またはその配偶者、家族を含めた華僑、華人の組織への転換が必要になった。全世界の華僑、華人の人口は3500万人と言われている。 国際的には中国、日本など一部の国家が血統主義をとってきたのに対し、欧米諸国をはじめ、アジア、アフリカなど絶対多数の国家は、属地主義をとっているので、中国血統の華人が絶対多数を占めている。 したがって中国では華僑、華人が団結して、中国の現代化建設に貢献することを期待している。祖国の現代化建設と台湾の平和統一の早期実現に大きな期待がかけられている。また、各国においても、 華僑、華人の団結が華僑、華人社会にとってより必要になってきている。

新しい華僑社会の構築へ

 特に日本においては、華僑、華人の歴史的経過を考慮し、情勢の発展に伴い、老華僑と新華僑が華人と連携して、華僑華人社会の団結をはかることが急務であるとの認識から、 2003年5月28日、横浜のプリンスホテルで開かれた留日華僑聯合総会第五回大会で会則と会の名称の変更が採択され、日本華僑華人聯合総会が成立した。一方、新華僑、華人は、日本中華総商会、日本華人教授会議、 中国留日同学会、在日中国科学技術者聯盟、北海道新華僑華人聯合会、在日中国弁護士連合会、全日本中国人博士協会、西日本新華僑華人聯合会の八つの新華僑華人団体が発起人となって、2003年9月21日、 東京の全日空ホテルで日本新華僑華人会(現・全日本華僑華人聯合会)の成立大会が開催され、三百余名が参加した。このように、二つの聯合組織が連携して、 日本における新老華僑の新しい華僑社会の構築に向かって前進する基礎ができたと言えよう。

日本華僑華人聯合総会(留日華僑聯合総会)の歴代会長と任期

 

第一代会長陳焜旺 1999年5月27日~2003年5月28日
第二代会長殷秋雄 2003年5月29日~2005年6月27日
(第5回代表委員大会 於横浜 日本華僑華人聯合総会に名称変更)
第三代会長曽德深 2005年6月28日~2008年7月10日
(第7回代表委員大会 於横浜)
※2008年7月10日於神戸大会において一身上の都合にて会長職辞任
会長代行:符易亨 2008年7月11日~2009年4月23日
第四代会長符易亨 2009年4月24日~2013年6月15日
(第11回代表委員大会 於熱海)
第五代会長任政光 2013年6月16日~2017年6月18日
(第15回代表委員大会 於横浜)
第六代会長廖雅彦 2017年6月19日~2020年2月27日
(第19回代表委員大会 於大阪)
※2020年2月27日常務委員会(大阪)において一身上の都合にて
会長職辞任
(第22回代表委員大会 7月書面決議)
会長代行:陳隆進 2020年2月28日~2024年6月30日
第七代会長陳隆進 2024年7月1日~
(第25・26回代表委員大会 於大阪)

三役一覧

 

会 長陳 隆 進(東京華僑総会顧問)
副会長銭 江 麗 子(東京華僑総会会長)
副会長謝 成 發(横浜華僑総会会長)
副会長楊 正 武(京都華僑総会会長)
副会長趙 知 理(大阪華僑総会会長)
副会長陳 昆 儀(神戸華僑総会会長)

常務委員

 

常務委員陳 莎 莉(東京華僑総会前副会長)
常務委員王 忠 福(横浜華僑総会名誉会長)
常務委員陳 宜 華(横浜華僑総会副会長)
常務委員任 書 楷(京都華僑総会副会長)
常務委員高橋 孟(京都華僑総会副会長)
常務委員于 学 偉(大阪華僑総会常務副会長)
常務委員王 遵 輝(大阪華僑総会副会長兼事務局長)
常務委員于 柏 林(神戸華僑総会副会長)
常務委員王 政 夫(神戸華僑総会副会長)

監事

監 事王 昌 勝(長野県華僑総会会長)
監 事盧 昭 男(群馬華僑総会会長)

事務局

事務局長